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11.132016
ケネディが尊敬した鷹山の書

かつて某新聞社が、全国の自治体首長に理想のリーダーを挙げてもらったアンケートで、
2位の徳川家康に大きく水を空けての1位に輝いたのが、
今回当欄で取り上げる上杉鷹山です。
江戸幕府の一藩主という立場ながら、
J・F・ケネディも尊敬する日本人として鷹山の名を上げていたほど、
その名声は世界に聞こえています。
(現在も鷹山公と敬称で呼ばれることの多い人ですが、当欄では略させていただきます)
鷹山が第9代米沢藩主に就いた当時、
藩財政は莫大な借財を抱え、破綻寸前。
前藩主の重定は、藩領を返上して領民救済を公儀に委ねるもやむなし
と考えるほど末期的状況にありました。
当時の藩民の窮状は悲惨を極めており、
凶作や飢饉で田畑が荒廃、重い年貢も重なり、
貧困で赤子を殺す間引きすら横行していたといいます。
有名な「成せば成る成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬ成けり」
とは鷹山の箴言ですが、強硬な反対勢力と戦い改革を断行してきた鷹山は、
まさに「成せば成る」を地で行く鉄の信念の人でありました。
さらに家督を譲るにあたり藩主の心得として残した伝国の辞は、
明治の藩籍奉還に至るまで家訓として伝承されました。
掲載の掛け軸「織女機絲霜夜月」「石鯨鱗甲動秋風」は、
米沢では霜の降りる明け方まで機が織られ、
秋風の中で皆が励んでいるという、米沢織の発展を詠ったものです。
細かい筆跡特徴をチェックする前に、
まずは筆跡の全体を一望いただきたい。
達筆は申すまでもなく、
字中空間に窮屈なところがひとつもありません。
草書体でつづられた流麗な筆さばきは実になめらかで柔らかく、
崇高でありながら親しみやすさもにじませる筆跡であります。
全体にとげとげしい箇所は見受けられず、転折部がすべて丸まっています。
この転折丸型は、型にはまったことを好まず、
明るく楽観的、アイディア力に秀でた面があります。
勤倹節約、殖産興業、教学振興など、次々に新しい改革に着手。
機織の技術を導入し、それまで生産出荷するだけだった青芋を織物として製品化。
飢餓に備えて備籾蔵を建造。鯉の飼育を奨励し、動物性タンパク質の接種を啓蒙、等々。
その思考性と行動力は当時の慣習や固定観念の枠に収まりきらないものであり、
筆跡はそうした鷹山の資質を見事に言い得ています。
文字空間に奥行がある字を深奥行型といいますが、
2つの掛け軸にある14の文字のうち
「機」「絲」「夜」「月」「鱗」などにこの傾向が見られます。
深奥行型は人格的深みや思慮深さを示す大物の証しです。
大胆な改革で倒壊寸前の藩を立て直し、
藩民の生命をも守る人道的成果をもたらした鷹山ですが、
彼の人格的スケールの大きさは
筆跡にも鏡のように二重写しになっていました。
水が流れるがごとき筆さばきから生じた連綿線も目を引きます。
連綿型は教養の高さや情の厚さを表します。
藩民の信望を得た鷹山を象徴する筆跡特徴と言っていいでしょう。
興味深いエピソードがあります。
ある日、稲束の刈入れ作業に苦労していた農民を
通りがかりの武士二人が手伝いました。
お礼の福田餅を届けに農民が武家屋敷を訪ねると、
通された先になんと藩主鷹山が。
腰を抜かすほどたまげた上に、
その勤勉さを称えられ褒美に銀5枚まで授けられたそうです。
水戸黄門の講談で語られるような逸話が、
鷹山の実例として存在しているのです。
どこまでも藩民を大事にされた鷹山の人となりが偲ばれます。
他、「機」「動」に強いリーダー資質を示す【頭部長突出型】、
「絲」「秋」に心の度量の広さを表す【開空間広型】
といった筆跡も見受けられます。
鷹山を思えば納得の特徴と言えるでしょう。
紙面の都合上、筆跡と人間性の関係を十分に語り尽くすことはできませんが、
折あらばより掘り下げてみたい、
筆跡診断士をそんな意欲にかき立てる魅力が
上杉鷹山の筆跡にはあることを、
最後に付け加えておきます。