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11.42016
筆跡診断 坂本龍馬の「規格外」

小説や映画、NHK大河を含めたTVドラマ等で
ドラマよりもドラマチックな生きざまが紹介される、
坂本龍馬。
幕末の志士といえば、
倒幕の激情に駆られた悲憤型をイメージしがちですが、
龍馬にそういった陰影は感じられません。
むしろ、明るく楽天的、奔放、
気取りがなくおおらかといった好印象が強く、
他の志士とは一線を画した感があります。
武家の出である龍馬は、
土佐勤皇党の志士としてはもちろんのこと、
海外貿易を生業とする海援隊を組織するなど、
実業家としても活動していました。
橋下前大阪市長が立ち上げた旧維新の会の政策に、
龍馬の掲げた「船中八策」という表現を用いるなど、
2世紀を隔てた今もなおその存在感は色あせていません。
勝海舟や西郷隆盛などとの親交が厚く、
薩長同盟の仲介や大政奉還の成立に尽力するなど、
明治維新に大きな影響を与えたことは、
よく世に知られるところです。
坂本龍馬の筆跡には以下の特徴が挙げられます。
〇強連綿型
〇頭部長突出型
〇開空間広型
〇はね弱型
〇起筆ひねり型
〇転折丸型
〇接筆開型
〇横広型
〇装飾点
〇深奥行型
書かれた文字とほとんど変わらない太さで
力強く描かれた龍馬の連綿線は、
【細連綿】【連綿】【強連綿】と3種に
区分けされる連綿型の中でも強連綿型にあたり、
龍馬が己の考えや行動に相当の自信があり、
非凡な集中力の持ち主であったことを物語っています。
薩長同盟成立に両者を取り持ったり、
亀山社中から発展的に設立した海援隊の隊長に抜擢されるなど、
至るところで政治力や経営手腕を発揮した龍馬ですが、
それはリーダー資質を表す頭部長突出型に見て取れます。
龍馬の起筆部にはひねりが多く見られます。
起筆ひねり型は我の強さを表しますが、
龍馬の入筆は柔らかく、ひねり型特有の強さは感じられません。
己の意見を一方的に押しつけるワンマンタイプではなく、
自分の意見は意見として主張しつつ、
周りとの協調も図れる穏健的リーダーだったということでしょう。
開空間広型も外向性を示す筆跡特徴です。
開空間とは、へんとつくりの間の空間をいい、
中国では気宇といいます。
日本語にも「気宇壮大」ということばがありますが、
気宇とは心の広さや度量を表します。
この開空間が広い龍馬は、
さまざまな人や情報を積極的に
自分の器に受け入れては成長の糧にしていく、
進取の精神が旺盛な人だったと考えられます。
ルールや原則に縛られることが性に合わず、
常識にとらわれない柔軟な考えと大胆な行動は
接筆開型、転折丸型に、
活動的で庶民的な親しみやすさは
横広型特徴にしっかりと表れています。
龍馬の性格の一端を示すエピソードがあります。
当時、土佐藩士の間で長刀が流行っていましたが、
短刀を差していた龍馬に「実戦では短刀の方が取り回しがよい」と諭された友が、
同じく短刀を差すようにしました。
ところが次に再会した龍馬は
「銃の前では刀など役に立たない」と懐から拳銃を出して前言を撤回。
改めて拳銃を購入した友が三たび龍馬に会うと、
万国公法(国際法)の洋書を見せて
「これからは世界を知らなければならない」とまたも前言を覆し、
もはや友はついていけなかったそうです。
いいと思ったものに次から次へと乗り換える龍馬は、
総じて新しいもの好きだったと言えます。
他にも、
当時では珍しいブーツや写真を取り入れていたという逸話もあり、
「池」の第1画、「我」の最終画等、
装飾点(おしゃれ点)が示す性格特徴を
そのまま体現しています。
龍馬の筆跡で特筆すべきは、
「孫」「池」「枝」「三月」など、
随所に奥行きの深い文字が表れていること。
これだけ多くの深奥行型がこれだけ少ない字数の中に表れるのは、
極めて稀であり、
この一点だけを取ってみても、
龍馬が歴史に名を刻むに足る、
規格外の大人物であったことを物語っています。