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11.102016
筆跡診断 手塚治虫のこだわり

藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、横山光輝、松本零士…
それぞれがきら星のごとく一時代を築いた漫画の大家でありますが、
彼らをアシスタントとして従えていた人物が、
今回の主役 手塚治虫であります。
地球上でもっとも豪華なアシスタントを持った男と言われているのも、
この顔ぶれを見れば頷けます。
数々の名作を世に送り出し、
死の間際までペンを離さなかったといわれる漫画界の巨匠の内面に、
筆跡から迫ってみたいと思います。
小さいころから抜きんでた画才で頭角を表し、
手塚の周りには漫画目当てに友だちが集まったともいわれています。
手塚は漫画以外に昆虫採集にも没頭。
写真と見紛うほど実物そっくりの昆虫図鑑を作るほどでした。
あるとき、自分のイメージする色を絵の具で作れず、
自ら指を切って血を出し「ようやく思い通りの色合いができた」と
満足したというエピソードがあります。
色彩感覚や絵の精密さへハンパでないこだわりは、
手塚の漫画に対する姿勢にも相通じます。
手塚の筆跡には「命」「帝」「年」「予」やひらがなの「す」など、
随所に縦線が下方へ勢いよく伸びた特徴が目立ちます。
縦線下部長突出は結果を求める執念やこだわりの強さを表します。
幼き頃からの納得いくまでやりきらないと気が済まない性格は、
妥協を許さぬ漫画に対する姿勢とも融合し、
死ぬまで引き継がれます。
手塚の晩年は胃癌に侵され、病床生活を余儀なくされます。
病は容赦なく手塚の体をむしばみ、骨皮だけに痩せ細っても、
手塚は漫画を描きつづけます。
ペンを握る指すら麻痺してもモルヒネを打ちながらなおも原稿に向かう手塚に、
妻が「もういいんです!」と泣きすがってもやめなかったといいます。
漫画に懸ける鬼気迫る凄まじいまでのこだわりは、
その筆跡にもしかと刻み込まれていました。
『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』の爆発的人気でこの世の春を謳歌したものの、
過激な描写がもてはやされる時代の変化の波に飲み込まれ、虫プロも倒産。
「手塚治虫は終わった」と揶揄されるなか、
従来の可愛い絵柄を捨てて劇画調に転じ、
『ブラックジャック』『火の鳥』などのヒット作で復活を果たします。
自分の作風をカメレオンのように時代の色に合わせてしまう変幻自在ぶりは、
転折部(「口」「日」などの右上部分)の角と丸が混在している
臨機応変な適応力とイコールで繋がります。
『ロック冒険記』で手塚は、
日本で最初に主人公が死亡するという衝撃的な描写もしています。
こうした奇抜な発想ができるのも、
想像力豊かな文字のなかの非等間隔性のなせるわざでしょうか。
また、保身のために若手漫画家を潰そうとしたとも言われていますが、
その辺りは保守的傾向を示す右上がり型(横線が右上に上がる特徴)
によって導かれたとも考えられます。
手塚が世に残した漫画は、全集で約700巻。
作品数は約1000点。
ギネスブックにも載っています。
生涯で描いた漫画15万枚以上は、
一日10枚近く描いていた計算になります。
これほど膨大な数の漫画をさばくため、
常に時間に追われるような感覚を持っていたことでしょう。
はね弱(文字のなかのはねの弱さ)、
下部接筆開(「口」などの下の接筆の開き)といった特徴が
そのことを示唆しています。
いずれにせよ、
日本が世界に誇る漫画・アニメ大国にのぼりつめた背景に、
手塚治虫の功績抜きには語れないでしょう。