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筆跡診断 樋口一葉の女の情念

五千円札でおなじみの、明治の女流作家・樋口一葉。

与謝野晶子や平塚らいてうなど、
のちに続く名だたる女流作家たちに
大きな影響を与えた樋口一葉とはいかなる女性だったか、
筆跡という側面から覗いてみたいと思います。

 

幼少より読書好きだった一葉は、
草双紙(江戸時代の絵入りの読み物)を一日中読みふけることもしばしば。

学校の成績も優秀でしたが、
女子に学問など必要ないとする母の古い考えにあらがえず、
進級断念を余儀なくされます。

一方、娘に文才を見出した父は、
歌人・中島歌子の「萩の舎」という歌塾に入塾させます。

(父が反対して、母が助け舟を…がふつうの家庭だと思いますが、
樋口家は逆だったんですね(^_^;)

一葉は、下級官吏の家柄という劣等感をバネに、
歌塾内で一、二を争う実力を身につけます。

 

そんな一葉に突如、宿命の嵐が次々と吹き荒れます。

長兄の病死、次兄の家出、父の事業の失敗と病死、許嫁の婚約解消…。

当時17歳の若さで樋口家の戸主を継ぐハメになった一葉に残されたもの。

それは、母と妹と多額の借金だけでした。

 

針仕事や着物の洗い張りで生計をつなぐなか、
同門の姉弟子が小説で稿料を得たのを知って、猛発奮。

新聞記者で作家の半井(なからい)桃水に師事します。

桃水は自身主催の雑誌に一葉の小説を載せるなど、
一葉を親身にサポート。

そんな桃水に一葉は恋慕の情を抱くも、
歌塾内に二人の醜聞が広がったことで、
桃水と絶縁せざるをえない状況に追い込まれます。

その後、一葉は『うもれ木』という“出世作”を発表。

桃水との別離が創作のエネルギーになったとしたら、
いかにも皮肉な結果でした。

しかし、苦しい台所事情は依然変わりません。

質屋通いをしながら荒物・駄菓子屋を営むも商売はふるわず、
ほどなく店をたたむことになります。

 

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当時の「借用金之証」の筆跡を見ると、
経済的に行き詰まりSOSを発信しながらも、
筆跡には人間的深みを示す深奥行型や、「件」の最終画に見られる、
並の結果では満足できない縦線下部長突出型があらわれています。

貧苦にあえいでも心までは萎縮しておらず、
筆跡からはむしろ「絶対に負けない!」
という不屈の気魄すら感じさせます。

商売断念で後がなくなった一葉は、ここから本領を発揮します。

明治27年12月から同29年1月までに
『大つごもり』『たけくらべ』『ゆく雲』『にごりえ』『十三夜』
などの作品を立て続けに発表。

この期間は「奇蹟の14ヶ月」と言われています。

 

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引用は『たけくらべ』草稿の書き出し部です。

「奇蹟の14ヶ月」演出に、
大弧のような転折丸型が示す豊潤な創造力抜きには語れないでしょう。

また、縦線下部長突出がここでも認められます(一行目「柳」、四行目「佛」など)。

原稿用紙の下枠中間までつらぬく縦線の長大さがあらわす、
どん欲なまでに結果にこだわる執着心が、
創作活動をあと押ししているようです。

2行目「三階の騒ぎも」、6行目「三嶋神社の」のように
数文字にわたる連綿線も目を引きます。

連綿には【連綿】(豊かな情緒性)【細連綿】(繊細さ)
【強連綿】(卓越した集中力と忍耐力)の3つの型があります。

一葉の筆跡にはいずれの型も含まれ、
そのすべてを一身に兼ね備えていたということでしょう。

一葉の作品は森鴎外や幸田露伴ら文豪から絶賛されるも、
その快進撃は病によって突然阻まれます。

明治29年11月23日、
一葉は肺結核により24歳の若さでこの世を去りました。

歌塾での侮蔑や半井桃水との決別、商売断念など苦境に陥るたび、
その経験を小説の題材にするなど創作の肥やしにしてきた
一葉の芯の強さには恐れ入るばかりです。

一葉には「遠慮がちでつつましやか」
とのきわめて女性的な世評もありますが、
彼女の筆跡にはむしろ男性的な力強さを漂わせています。

私には、「今に見ていろ、必ずや小説家として大成してみせる」との
執念にも似た情熱の炎が赤々と燃えていたように思えてなりません。


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