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11.32016
筆跡診断 武田信玄の情と無情

「武田信玄」
「風林火山」を旗頭に戦国時代の
荒れ野を疾風のごとく駆け抜けた、
甲斐の虎こと武田信玄。
きら星のごとく出現した
当時を代表する戦国武将の中でも、
その存在感は抜きんでており、
越後の上杉謙信との五度にわたる「川中島の戦い」は、
群雄割拠の戦国の世を語るうえで欠かすことができません。
「城を作るぐらいなら、一歩でも外へ出よ」との言葉に、
彼の好戦的な性格がよく表れています。
ただし、彼の非凡な才覚は
戦に限ったものではありません。
自国内の通貨制度を整えたり、
当時では珍しい水洗トイレを設計したりと、
治世においても機知を発揮した人物でもありました。
華やかで輝かしい戦歴を誇る信玄ですが、
その語り継がれる人間像は峻烈さを極めており、
作家の海音寺潮五郎氏をして
「忍人(にんじん=冷血漢)」と言わしめるほどでした。
父であり当主でもあった信虎を駿河に放逐、
妹婿をだまし討ちしたために妹は鬱病を患い、
長男の義信に叛逆の濡れ衣を被せて幽閉し切腹させた、
という凄惨な史実も記録されています。
親子でさえ血で血を争う狂気の時代のさなかにあっても、
信玄の非道ぶりは他の追随を許さないほどに際立っています。
敵国の捕虜を戦の軍資金にするため
奴隷として売り払ったという逸話も残されており、
捕虜を虐殺した織田信長よりも
計算高い冷酷さだったとも言われています。
さて、その信玄の筆跡ですが、
個々の点画がしっかりと描かれており、
字間に窮屈なところがなく、
字空間に明るい印象を受けます。
一見して目立つ筆跡特徴としては、
以下の2つが挙げられます。
・右ばらい長型(7行目「之」「納」8行目「状」「敬」など)
・縦線下部長突出型(4行目「帰」5行目「中」6行目「華」7行目「神」など)
右ばらい長型は、のめり込み、入れ込みタイプで、
情が深く厚いタイプ。
縦線下部長突出型は、平凡では飽き足らず、
結果に固執する強靭な意志を表します。
戦乱の世を勝ち切るために
数々の修羅場をくぐり抜けてきた
信玄の執念にも似た強固な信念が
筆跡に表れていると言えます。
ただし、情に深く厚いという特徴は、
肉親さえも容赦なく切り捨ててきた性格と
相入れないと思われるでしょう。
残虐性ばかりがクローズアップされる信玄ですが、
他方、彼は臣下を大事にし、
甲斐の国を心から愛していたとも言われています。
一軍の将として、また一国の主として、
臣下や民を守るために、あるいは家族に対する情を
自分の中で押し殺し続け、犠牲にしてきたのかもしれません。
他にも、左ばらい長型(2行目「必」4行目「者」など)、
はね強型(2行目「托」4行目「機」など)、
等間隔型(1行目「信」最終行「奉」など)
といった筆跡特徴があります。
左ばらい長型は周囲から注目を浴びる
ことを好む性格を表していますが、
信玄の場合、単に注目を浴びたいというよりも、
甲斐という海のない、
四方を敵国に囲まれた拠点にあって、
自身の強固な軍勢を誇示したい
という思いがあったとも解釈できます。
はね強型の土壇場や逆境での強さや、
等間隔型の緻密な戦略家ぶりは、
まさに戦いで真価を発揮してきた
信玄そのものを表しているといっていいでしょう。
彼の筆跡特徴の中でちょっと意外に感じたのは、
閉空間小型が多かったこと。
閉空間小型とは、四方が隙間なく
閉じられた空間が小さい型のことで、
5行目「祝」や6行目「百」、
7行目「可」「駒」など随所に見られます。
閉空間の大きさはその人の
内部エネルギーの大きさに比例しており、
体力や気力の衰えや萎縮を表しますが、
一方で、場を引き締める意味もあり、
落ち着きや知性、品格なども表します。
この書状は、北条氏政に嫁いだ
長女黄梅院の安産を祈願して
富士御室浅間神社へ奉納されたものです。
この筆跡には、信玄という名の大名としてではなく、
晴信という名の父親として、
娘を想う細やかな愛情や品性の一端が
顔を覗かせているように思えてなりません。