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11.42016
筆跡診断 比類なき二人の天才~漱石と鴎外

『我が輩は猫である』『坊ちゃん』など、
老若男女を問わず親しまれている国民的作家・夏目漱石。
一方、『舞姫』『雁』『高瀬舟』といった秀作で、
漱石と時代の双璧を成した大文豪・森鴎外。
共に没後百年近くが経過した今もなお国語の教科書に載る、
日本文壇の礎(いしずえ)であります。
「両雄並び立たず」とは世のならわしですが、
同時代に生まれ合わせながら、
全く趣を異にする作品を世に送り出し、
各々の立ち位置を築いてきました。
その好対照ぶりは、彼らの筆跡にも表れています。
まず、漱石の筆跡。
どの字の起筆もクセがなく、スッとまっすぐに筆が入っています。
「起筆すなお型」は、
他人の言動や環境の変化の影響を受けやすい傾向がありますが、
現実の生活や体験を直視した作品が多いのも、
その辺の気質と無関係ではないでしょう。
姦通を通して性愛の倫理を模索した『それから』や、
背徳によって結ばれた夫婦の葛藤を描いた『門』などは、
彼が、三兄の妻への道なき恋に激しく心を煩わせた体験と
重なるものがあります。
一方、鴎外の筆跡では、
「文明」の二字の起筆に大きなひねりが加えられています。
「起筆ひねり型」は、自分なりの主義主張がある半面、
意地っ張りで、人の意見に耳を貸さない頑固さも持ち併せています。
陸軍軍医でもあった彼は、
当時軍で大流行していた脚気への有効な対策として
麦飯の効果が実証的に認められていたものの、
「医学的裏付けがない」と一蹴。
その結果、2万7千人が死に至る大惨事に。
彼の強固な頑なさが招いた悲劇と言えるかもしれません。
漱石の「子」の字。
下部のはねがなく、流れるような収筆になっています。
「はね弱型」は精神的に打たれ弱く、投げやりな面があります。
妻との不和や旧養父母との金銭上のトラブルなど家庭内のゴタゴタや、
英国留学中に受けたいわれなき人種差別をはじめ、
事あるごとに神経衰弱に陥った漱石は、
強度の発作や胃潰瘍や痔、糖尿病など多病に苦しんだ
病弱な人でもありました。
繊細な人柄で描かれた『こころ』の「先生」は、
さながら彼自身の『心』の「映し」かもしれません。
鴎外の「式」「事」の字は漱石とは逆に、
はねの強さが目立つとともに、
「古」「聲」の第2画が、第1画横線から大きく上へ突出しています。
「はね強型」は、強い責任感と忍耐強さが求められる
陸軍の軍医総監まで務めた彼の経歴に、
「頭部長突出」は、同人誌を主宰したり、自宅で歌会を開いたりと、
さまざまな場面で旗振り役を買って出たことを考えると、
合点がいくものがあります。
ひらがな部分や「好」の字に見られる強い連綿線は、
鴎外の非凡な集中力と揺るぎなき自信家であることを物語っています。
あまたの成句を丸暗記していたという逸話があり、
古今東西の言葉に精通し操る文筆家だった鴎外は、
自身のあやなす文章表現力に揺るぎなき自信があったのでしょう。
この「強連綿型」は、漱石の筆跡にも随所に見られます。
また、「田」の字を見ると、
左上下の接筆部が大きく開いており(上開下開型)、
右上の転折部は丸みを帯びています(転折丸型)。
柔軟かつ豊かな発想力で「浪漫」「沢山」といった言葉を生み、
変幻自在な文体を作り上げた漱石ならではの特徴で、
彼もまた、自身が世に送る文学の世界観に不動の自信があったと言えます。
もうひとつ、見逃してはいけない双方の共通点があります。
漱石の『幻住寺の一二夜』、鴎外の「詠嘆」「事」などに見られる、
精密なまでの「等間隔型」。
ともに波浪の人生を舵取りしつつ、
その瞳はうつせみのよしなしごとを、
磨き抜かれたロジカル(論理的)な目線で、
冷静かつ客観的に俯瞰(ふかん)していたように思えてなりません。
筆跡から分かるのは、漱石も鴎外もまぎれもなく
「文明開化」という時代が生み落とした寵児である、
ということです。