筆跡仕事人

私以外私じゃない、ゲス川谷筆跡

昨日久しぶりに更新した筆跡仕事人ブログ。

タレントベッキーとゲスの極み乙女。川谷絵音
(以下 川谷絵音)の一連の不倫騒動を
ベッキーの筆跡から考察を試みてみました。

ただし、一方の当事者だけの筆跡では
考察と呼ぶには不十分で公平性も欠くと感じ、
今日はもう一方の当事者である川谷絵音の筆跡から
問題の本質をさらに深くエグッてみようと思います。

 

その前に…。

 

先のベッキー、ついに出演する全テレビ番組から
姿を消すことになりました。
業界的に言えば「干された」ということです。

こういう問題が起こると、ほとんど必ずといっていいほど
問題の当事者は「休業」というみそぎを行い、
ある程度ほとぼりが冷めてから復帰という形をとります。

これに関しては、すべての人が納得する答えなんかなく、
より怪我の程度の軽い選択肢なのかもしれません。

一方で、先日ダウンタウンの松本人志さんが某番組で発した
「(不倫などが)発覚したならエンターテインメントをしてほしい。
エンターテイナーとして(中略)休むとかはずるいなと。
みんなを楽しませようぜ。こうなったらっていう気がするんです」
というコメントに、私は妙に納得してしまいました。

ベッキーがお茶の間から姿を消すのとは対照的に
当事者の一方である川谷絵音は多少の制約はあるものの
今後の音楽活動に大きな支障はないようです。

この辺りは「音楽性」をウリにしている川谷絵音と
「人間性」をウリにしているベッキーとの差でしょうか。

川谷絵音ファンは「音楽と人間性は別物」と支持します。
彼の音楽性の高さは誰もが認めるところです。
ただし、音楽は人間性の発露であることを考えると、
果たして「別物」と言いきってしまっていいものかどうか…。

 

さて、本題。

公開されている川谷絵音の筆跡はサイン以外ほとんどなく、
確認できたのは以下の筆跡だけでありました。

 

絵音2

 

パッと見、27歳という年齢より幼い印象を受ける文字ではあります。

文字の傾きを見ると、右にも左にも偏りがなく、
全体的に水平度の強い文字であることがわかります。
(文字の中の横線の傾きで判断します)

水平文字は喜怒哀楽といった感情の起伏が少なく、
やや冷めた印象があり、淡々とした性格を表します。

右ばらいが長くのめり込みやすい性格だった
ベッキーとは対照的で、お熱だったベッキーを
冷静にコントロールしていたのではと感じさせます。

アルファベットの「E」や漢字の「張」「生」など
横線の等間隔度が乱れているのはベッキーと同じ。

その場の空気やムードに流されやすいところがあり、
やはり思いつき度の強さや計画性のなさが目に付きます。

非等間隔は感性が鋭く直観力やひらめきの高さも示しており、
ベッキーにはそれがタレント性として
川谷絵音にはそれが音楽性として
それぞれ輝きを発揮していたのだと思います。

ただし、非等間隔も諸刃の剣。
二人の燃え上がる恋愛感情の前では
負の作用として働いてしまったようです。

「極」「引」「張」などへんとつくりの間も全体的に狭く
「私以外私じゃないの」の歌詞のごとく
自分以外のものを認めない閉鎖的な気質も見て取れます。
かりに第三者が二人の仲を忠言したとしても
聞く耳を待たなかったかもしれません。

文字の濃淡にいくらかムラがあり、濃い部分は
何度か重ね書きしているようです。
自分なりのこだわりの強さを表しているようです。

冒頭に申し上げたように、文字に幼さを感じます。
イラストも27歳にしては稚拙な印象は否めず、
どうやら「ヤンチャ」が抜けきれていなかったのかも。

どちらかというと、ベッキーの熱の入り方の方が強く、
川谷絵音は彼女の想いを冷静に受け止めつつ、
危険なゲームを楽しむかのように軽率な行動に走ってしまった。
成熟しきれていない精神的な稚拙さもそれに
追い打ちをかけてしまったのではないでしょうか。

私は筆跡からそう見ました。

筆跡からこれ以上、この問題を掘り下げることはないでしょう。

ベッキーも川谷絵音もそれぞれの分野で
出色の才能の持ち主であることは筆跡からも明らかです。

ベッキーにはベッキーにしかできない仕事があり、
川谷絵音には川谷絵音にしかできない仕事があります。
二人には「私以外私じゃない」今後を期待しています。