筆跡仕事人

筆跡診断 連合艦隊長官の恋慕

「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」…

戦後生まれの私には覚えのない言葉ですが、
戦争を知る世代でご存じの方は多いでしょう。

大日本帝国軍人にして連合艦隊司令長官、
山本五十六元帥の名言です。

 

当時のチェスター・ニミッツ米海軍太平洋艦隊司令長官をして
「山本長官より優れた司令官が登場する恐れはない」と、
日本軍の暗号を分析・解読して彼の動向を掌握し、
全軍挙げて彼個人にターゲットを絞るほどの大指揮官でありました。

 

一方で、彼は数度の駐在経験から、
米国との国力の圧倒的な差を知悉しており、
直接対決を望んではいなかったというのもまた歴史の真実です。

彼が日独伊三国同盟の締結に強硬に反対したのも、
「米英との関係が悪化する」
「日ソ開戦の場合、独伊は距離が遠すぎて援助・支援が期待できない」
等の大局的な視点を持ち併せていたからでありました。

 

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彼の筆跡に随所に見える【等間隔型】は、
世論や感情に流されることなく、冷静に状況を分析・判断できる
ロジカル(論理的)な思考の持ち主であったことを物語っています。

掲載書簡の「五」「阜」にある【横線左方長突出型】は才気横溢を表し、
戦艦建艦競争となった場合、
圧倒的工業力を持つ米国に対抗できないという考えから
海軍の航空主兵論を展開、先見の明を発揮したことからもうなずけます。

 

リーダー資質を表す【頭部長突出型】
(横線から大きく縦に突き出る筆跡)を彼の筆跡からは見出せず、
自分の主義主張を押し通す【起筆ひねり型】でなく
【起筆すなお型】傾向であることと併せ考えると、
彼がワンマン型でなく周囲との協調を保ちつつ
統制を図る穏健型リーダーであったと推測されます。

また自ら表舞台に立つことを望んではおらず、
1939年の連合艦隊司令長官任命時も、
日米開戦回避の補佐役として海軍大臣次官を望んでいたものの、
当時の米内海軍大臣が、三国同盟に反対する山本の身の安全を確保すべく
海軍中央から遠ざけるための人事だったと言われています。

ただし、ひとたび就任してからは、
結果に執念を持つ【縦線下部長突出型】特徴が示す通り、
「おそらく私は旗艦長門の上で戦死する」との
悲壮な決意で任を全うしました。%e5%b1%b1%e6%9c%ac%e4%ba%94%e5%8d%81%e5%85%ad%e7%ad%86%e8%b7%a1c

 

部下戦死の報を耳にすると食事も通らず泣き崩れ、
無事生還した時は涙を流して喜んだというエピソードは
枚挙にいとまがありません。

愛人としてかこっていた河合千代子には
「方々から手紙が山のごとく来ますが、
私はたったひとりの千代子の手紙ばかりを朝夕恋しく待っております」と
手紙にしたためる入れ込みようで、
激情型の【右ばらい長型】を地でいく人物でもありました。

オシャレ志向の【左ばらい長型】も目を引く特徴のひとつで、
彼特製のサージの軍服を逆光で青色に光らせるようにしていた
というエピソードがそれを端的に表しています。

彼の手帳は、明治・大正・昭和天皇の詩歌や自作の詩、
戦死者への賛美と死への決意で占められており、
情感の豊かさは【連綿型】の表す特徴そのものと言えます。

豊富な駐在経験から、
米国との無謀な戦争回避の姿勢を貫きながらも、
皮肉なことにその戦争を指揮主導する連合艦隊司令長官に推された山本。

彼の思いとは裏腹に、
抗いがたい運命の大波に翻弄され、
戦果の大海原へと投げ出されました。

 

戦死を遂げる1943年の初頭、
彼は親しい料亭の女将に、
愛人河合千代子と南洋で暮らしたいとの希望を込めた手紙を送っています。

敗色濃厚な戦争の真只中にあって、
彼は、愛する人との平穏な生活を志向していました。

それを許さなかったのは、
もしかすると波乱万丈の生き様を暗示する
【大字小字混合型】筆跡の導きであったかもしれません。