プロフィール

筆跡仕事人・芳田マサヒロ


日本筆跡診断士協会 筆跡診断士。これまでに3000人以上の筆跡によるカウンセリングを行う。また数多くの芸能人の筆跡診断も行っている第一人者。『SMAP×SMAP』『ノンストップ!』『モヤモヤさまぁ~ず2』をはじめ、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞などさまざまなメディアでクローズアップされ、講演やセミナーなどでも活躍中。著書『なりたい自分になる!筆跡の魔法』(飛鳥新社刊/1296円+税)には、筆跡を変えることで個性を伸ばして弱点を抑え「なりたい自分になる」ためのアドバイスが満載。

 

出来事
1965年 むかし、娯楽といえばパチンコ屋だけ、今は東京スカイツリーがにょきっとそびえ立ち観光客でにぎわう東京の下町・墨田区押上に4人兄弟の長男(姉と弟2人)として生まれる
1980年 イジメられっ子だった小5から中学卒業までの5年間、昼休み屋上での一方的ヤラれ役プロレスや休み時間 教室内カーテンに押し込められてのボコリに剣道で鍛えた精神力(高校卒業までに三段取得)で乗り切る
1981年 高校2年の時、東京都青少年洋上セミナーに高校代表として参加(選抜方法はアミダくじ:担当先生談)。クルーズ客船にっぽん丸(二代目)でグアム、サイパンへ(約12日間)
1983年 早稲田大学 第二文学部 演劇専修に進学1年時に学内の劇団木霊(こだま)に入団。大学のキャンパスにいる時間よりも劇団のアトリエにいる時間が逆転する
1986年 在学中に劇団木冬舎(劇作家清水邦夫主催)に入団
1987年 大学卒業。バブル前の売り手全盛期に就職もせず劇団に残る
1988年 素行不良で劇団をクビになる。
その後、当時付き合っていた彼女にもフラれ、ヤケになって自殺未遂まで起こすが、近所の新聞配達のおばちゃんに励まされ、立ち直る
1991年 役者としての方向性に迷っていたころ友人に「声がかっこいい」「声に響きがある」とおだてられ すっかりその気になって、無謀にも声優の道を志す。

声優事務所アーツビジョン主催の養成所無料受講生オーディションに合格(約1200名応募中、合格5名/同期に椎名へきる)。アニメやゲームのアテレコを中心にこなすが、仕事が徐々に減り、退所。

その後、声優コース講師(東京ビジュアルアーツ専門学校)を経て声優・ナレーター事務所アクセントに入所(1997年)。だがナレーションの仕事も徐々に先細りとなり、退所。

2000年 縁あってマレーシア人女性と結婚。
当時流行っていた「ミレニアム婚」でした
2001年 なかなか目の出ない声優を本気でやめようと決意。「やめる前に好きなことをやるだけやってやめよう」と演劇集団プライムステージをプロデュース、自分の脚本・主演で書き下ろし戯曲「ペチカの火が消える頃」(武蔵野芸能劇場)を上演

洒落で送った日本劇作家協会新人戯曲賞候補に「ペチカ~」が残ってしまい「意外にライターの素質、あるんちゃう!?」とまたも勘違いが頭をよぎり、未経験から本格的に職業ライターを志す。2003年競馬情報会社に制作ライターとして入社

この入社が、実は、38歳にして初めての正社員。それまではアルバイトや派遣、つまりフリーターとして生計をまかなう

―経験職種―
(牛丼屋店員、うなぎ屋出前、テレアポ、ビラ配り、テレビ通販オペレーター、レジスター営業、資材運び、健診車に同乗しての健診補助、イベント設営、システムキッチン設置、スタジオ管理人、倉庫管理、ピエロ、etc…)

その後も、テレビ雑誌制作、マンション管理業、古物商などを経験

2009年 平凡やありきたりが性に合わず好奇心旺盛な性格から、何か変わったスキルを身につけたいと思っていた2009年秋、某テレビ番組で「筆跡診断士」という資格があることを知る
2010年 運命に導かれるように日本筆跡診断士協会の門をたたき、筆跡診断の勉強を開始。同年11月、筆跡診断士(補)となる
2013年 相藝会 筆跡鑑定研究所 研究員に異例の抜擢をされる
2014年 日本筆跡診断士協会 筆跡診断士(正)に認定される。

同年7月、東京スカイツリーの真向かいに本邦初の筆跡診断店【筆跡仕事人】をオープン。現在、筆跡診断の普及活動に邁進する

 

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